2019年8月14日水曜日

防空壕

安曇野市豊科の立石地区にある洋品店・高山商店の倉庫の地下に、太平洋戦争中に掘られた防空壕が残っている。石積みの壁で四方を囲んだ縦5・5㍍、横3・3㍍、高さ1・7㍍のかなり大きなしっかりした造りで、20~30人は収容できる。


高山商店は立石交差点のすぐ南側にあります。

こうした場所でも防空壕の必要性が感じられるような状況だったのですねぇ。

安曇野における空襲は、この防空壕が作られた翌年の1945年(昭和20年)5月19日にB29が1機飛来し、穂高地区に17発の爆弾を投下。3人が死亡、複数の重傷者が出たという事実があるようです。

話は飛びますが、自分が育った四国の田舎町に小さな山があって、その山腹に防空壕と呼ばれていた横穴がありました。奥行きは5mほどだったでしょうか。

自分が子供の頃、お寺の山門の前で傷痍軍人(←自称していただけかもしれませんが)がムシロの上に座って物乞いをしていたのですが、彼の寝床がその防空壕だと噂されていて、興味本位で近づかないように言われていたものです。

終戦から随分と経った時でしたが、まだ戦争を引きずっていた時代だったんですねぇ。

防空壕の話題で、そんなことを思い出してしまいました。