小松家は江戸時代に北熊井村の名主を務めた家で、建物は17世紀後半~18世紀初頭の建築と推定される。寄せ棟平入りのかやぶき造りで床面積は157平方メートル。増改築が繰り返されているものの、近世農家の祖型を示す重要家屋と評価され、昭和48年に重文指定を受けた。
一般公開は5年後の予定ということなので、まだまだ先のことですが、公開された際にはぜひ訪れたいものです。
小松家は江戸時代に北熊井村の名主を務めた家で、建物は17世紀後半~18世紀初頭の建築と推定される。寄せ棟平入りのかやぶき造りで床面積は157平方メートル。増改築が繰り返されているものの、近世農家の祖型を示す重要家屋と評価され、昭和48年に重文指定を受けた。
輪湖は梓尋常高等小学校を経て大正6(1917)年、当時の佐藤校長のいる堀金小に首席訓導として赴任した。短歌に親しみ歌人の一派「アララギ派」に属していた輪湖は、佐藤校長の「常念岳をよりどころとする教育」をうたった歌を作詞。