『旅先のオバケ』(椎名誠、集英社)を読み終わりました。
タイトルにあるオバケ、というかシーナさんの不思議体験は、前半だけというのが残念。
金縛り体験のような、シーナさんのイメージからはちょっと想像できない話が面白いのですけれどね〜。
- Gen's Blog: 借りてきた本(2018,12,05)
公教育は、家庭の事情がバラバラな子供たちに、ある程度均一な教育を与えるためのものであり、その点に立ち返るなら、家庭の事情がバラバラな子供たちの食事事情を補うためにも、給食が望ましいのは当然の話である。
成長に必要なものを与えられる環境で育つのは、子供の権利であり、子供がその権利を享受できるようにするのは、大人の義務だ。この義務は、親の個人個人が、各々の子供に対して持つものばかりではなく、この社会の大人たちが、子供全員に対して、共同で持つものである。
だから、うちの子はいいが他所の子は知らんというのは、社会における大人の責任を果たしているとは言い難い。うちの子も他所の子も権利を享受できるよう、制度を整えるのが大人の役割であり、行政というものだ。だから、「給食を望む親は、手抜きがしたいだけ」などと言うのは、全くの的外れなのだ。
現代の(とりわけ先進国に生きる)人びとはまさに、自由や人権のために「緩やかな自殺」を選ぼうとしているのかもしれない。
自治体のホームページの新着情報をFeedlyとかに流し込んでチェックしてると、本当に沢山の知らない物事が流れて決まっていくのを見れるからオススメ。