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2012年8月21日火曜日

作新学院の代わりが仙台育英・・・

日本高野連は21日、岐阜国体の高校野球硬式の部(9月30日~10月3日・岐阜長良川など)=公開競技=への出場が決まっていた作新学院高(栃木)が辞退し、補欠1位校の仙台育英高(宮城)が繰り上がりで出場すると発表した。

作新学院高は、野球部員が強盗容疑で逮捕されたことによって国体を辞退。代わりに出てくる仙台育英高は、例の根性焼きのいじめの舞台とされる学校ですが・・・。

犯罪がどうのこうのというのは置いておいて、学校側の態度としてはどちらが悪質なのでしょうかねぇ。

一度区切りをつけて、高校野球のあり方の見直しを行う時が来ているような気がしますが。

「氷菓」第18話 覚え書き 一覧


新幹線N700Aの自動運転

この定速走行装置は、自然災害などトラブル発生時の運行遅れを取り戻すときだけ使用する。通常時に使用すると、速度の効率がよすぎて、時刻表よりも早く到着してしまうためという。

とはいっても、将来的には通常時に使用するのが当たり前になるでしょうね〜。そして、いずれは無人運転化されることになるのかも。

話は飛びますが、最新の技術で蒸気機関車を作ったら、どういう性能の車輌ができるのでしょうかね〜。外観は昔のままがいいですけれど w

代数は必要ない?

ニューヨーク市立大学の政治学名誉教授アンドリュー・ハッカーは、代数の勉強はそれほど有益ではなく、したがって高校のすべての生徒の必修である必要はないだろうと主張している。

結果としてそれが不得意な教科となったとしても、高校レベルくらいの内容なら必修でいいと思いますけれどね〜。

脳みそが柔らかいうちにいろいろな事の基礎だけでもある程度強制的に勉強する機会が用意されていないと、将来、得意科目として伸びるはずの能力の芽を摘んでしまうことになりはしないでしょうか。

猫の安楽死 追記 2 死にまつわるケア


ネコの話でも安楽死の話でもなく・・・元の記事に下記のような一文があったので、そのことで。

もっとああしてやればよかった、こうしてやればよかったと悔やむことは多々あります。

上記の気持ちは、人で動物でもその死に際して、送る側が、たとえ最善を尽くしたと自他ともに認めていたとしても、必ずや抱いてしまうものでしょう。

で、唐突ですが、イタコの話です。

イタコというと、テレビや漫画などの影響で、口寄せ、つまり死者と会話が出来るというようなことばかりが強調されて、しかも、ウソっぽいようなイメージで伝えられることが多いわけですが、イタコの大きな役割のひとつは、遺族の看護や送り方を死者の立場で全面的に肯定することにあるのはないかと考えています。

「ああしてやればよかった」と悔やむ遺族に対して、死者(が乗り移ったイタコ)が「いやいや十分にやってくれたよ」と満足を示すことで、遺族の後悔の気持ちを少しでも救うというわけです。

イタコって、遺族のカウンセラーとしての役割が非常に大きいのではないでしょうかね〜。死の悲しみを扱うからこそ、厳しい修行が必要とされてきたのでしょうし、誰もがなれるものでもないのでしょう。でも、社会的に必要な役割を担ってきたわけで・・・。

宗教や地域社会の繋がりが希薄になってきた現在は、死をどう捉えるかという問題が個人に直接ぶつかってくることが多くなってきているような気がします。イタコを増やせとは言いませんけれども w 死に関係するケアを行う仕事というのは、もっと大事にされてしかるべきなのではないでしょうか。

日本の議員達による尖閣上陸

慶田城会長は「私たちは毎年、尖閣が平和であることを願って慰霊祭を開催し、二度と戦争を起こしてはならないと誓っている。慰霊祭を利用して戦争につながる行動を起こすことに対し、無念のうちに死亡したみ霊は二度目の無念を感じていると思う」と強調した。

こういう声に対して、「日本の領土を守るため行動する議員連盟」の山谷えり子会長(自民党参院議員)はどう答えるのやら。

この議員達は誰に対してパフォーマンスを繰り広げたのか知りませんが、こんな行為で自己陶酔している議員も議員なら、彼らの行為に拍手をしている連中もどうかと思いますねぇ。

猫の安楽死 追記 1 あえて・・・


飼い主が安楽死を決意したことを全く否定的に考えられないのですが、「あえて」何か書くとするならば、

  • もう少し早い段階で安楽死を決意できなかったのか
  • 飼い主に早くから安楽死を勧め、決断を迫るのも動物医の役割のひとつではないのか

ということでしょうか。

症状の進行と動物病院での治療の具体的な経過がわからないので、上記の点に関しては、実際にはそういう確認が医師と飼い主との間で早くから行われていたのかもしれませんけれども。

人間の死に際しては、医師と遺族の他に死についての宗教的な観念が入ってくることが多いと思いますが、動物の場合はそういうものが無いわけですからねぇ。動物の死を看取る経験が断然多いはずの医師が、飼い主に対して安楽死の決断を促すとともに、その前後にちょっとした心のケアを行うということも必要なのではないかと考えてみたり。

そもそも、医学的な知識を持たない一般の人が、ただでさえオロオロしている最中に、延命か安楽死かの選択を迫られるというのは、やはり酷なような・・・医師が選択をして、最終的な決断は飼い主にしてもらうというのがいいのかな、と思いますけれどもねぇ。

以上、繰り返しになりますが、「あえて」書くとすれば、ということで付け加えてみました。

自分がこの飼い主の立場に置かれれば、苦しむ姿を見かねてかなり早い段階で安楽死を決断してしまうかもしれませんし、逆に、ただただ生きていて欲しいという身勝手な思いから、結果として苦痛を与え続けることを選んでしまうかもしれません。当事者にならないとわからないですねぇ。

Anonymous

Anonymousの活動は多種多様であり、その評価をめぐっては抗議ごとに是々非々で判断する必要がある、問題はネット上の盛り上がりに比例して活動が加速することである。Anonymousはリーダーの存在しないネット上の集合体である。それ故にコントロールが難しく、大規模な犯罪行為か、あるいは人々に支持される社会運動の両方に発展する可能性が指摘できる。したがって一概にAnonymousを肯定・否定することも難しい。

ある国において、その行為が民主的であるがために違法とされていたり、旧態依然とした非人道的な刑罰が行われていたりなどなど、国や国連がなかなか対処できない問題に対しては、大きな力となりうるのかもしれませんね〜。

Anonymousが誕生したキッカケに、日本が関係無いわけでもないとは・・・。