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2022年11月20日日曜日

日比谷線車内で白い粉?



津野山古式神楽の猿田彦の舞


津野山古式神楽は延喜13年(913年)藤原経高が京より津野山郷に来国したときに、神話を劇化したものを神楽として伝えたことが始まりとされている。「宮入り」から「四天の舞」まで全部で17のまいがありすべての舞を舞い納めるには8時間ほどもかかる。

津野山古式神楽

毎年、11月15日に河内五社神社、11月16日に三嶋神社、11月19日に諏訪神社にて奉納される。国の記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財(選択無形民俗文化財)に選択されている。


寿司職人が回転寿司に行ったら

馬と散歩

ソーセージ


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囚人が掘ったトンネルの出口

小谷村真木集落








日陰を求めてやってきたチーター

「美術工芸甲子園」大賞作品「姫」

作品イメージは「強く美しい姫」。乾燥した土地の草原、砂ぼこりが舞う中でたたずむ様子、といった断片的なイメージから物語を膨らませた。9月初めから1カ月かけて制作。針金や新聞紙で作った体に石粉粘土を盛り込んで着色し、肌の質感を再現した。石見神楽衣装の残り布や祖父のネクタイを解体してつないだ衣服は、スマートフォン用の画像検索用アプリで「民族衣装」といったキーワードを調べ自作した。

真光寺遺跡

本年度見つかった中世(鎌倉時代~戦国時代)の葬送に関わる遺構や、7世紀後半に造られた古墳の横穴式石室
中世の遺構は大きく分けて火葬施設と土葬墓の2種類。火葬施設は30基余り
50基ほどある土葬墓は真光寺の東40~50メートルの地点に集中し、多くが一抱えほどの小さな墓穴(中略)最初から頭部だけを埋葬した可能性
古墳は東西直径12メートルほどで、昨年度の調査で見つかった1基目や、市内の安塚古墳群・秋葉原古墳群と類似点が見られる。



穴同士が重なっていないことから、墓標などが立てられていたか、同時期に埋葬された可能性がある。
頭部を円筒形容器に入れて収めたとみられる穴も一部にある
合戦で討ち取った敵の首を持ち帰り、検分して武功を判断する「首実検」に伴って埋葬された可能性
真光寺遺跡に比較的近い梓川の対岸では1550(天文19)年に「野々宮の合戦」があった。
北条氏や上杉氏、徳川氏が信濃の領有を争った「天正壬午(じんご)の乱」に関わる可能性