アクセスの多い投稿(7日間)
2013年5月19日日曜日
京橋川
18:00に松江しんじ湖温泉駅に到着。ホテルへと帰る途中で少し寄り道をした際に、京橋の上から西側の方角を撮った写真です。
左側のツタで覆われている建物は、珈琲館。右端が、旧 日本銀行松江支店を利用したカラコロ工房です。
稲佐の浜 2
全国的には神無月、出雲では神在月に、各地の神様たちが海の向こうからこの浜辺にやってくるわけです。海上に現れた神様たちの姿を見られるものなら、ぜひ見てみたいものです。
旧暦10月10日の夜、記紀神話において国譲りが行われたとされる稲佐浜で、全国から参集する神々を迎える「神迎祭」が行われる。
稲佐の浜が神話において重要な場所となっているのは、自分の勝手な推測ですが、この土地を開墾し、のちに出雲大社を造った人達の祖先の最初の一歩がここから始まったということにあるのではないでしょうかね〜。
稲佐の浜 1
15:39発のバスで日御碕をあとにしました。日御碕地区での滞在は約1時間。日御碕神社と出雲日御碕灯台を駆け足で見て回るだけなら、1時間あればなんとかなるかもしれません。
稲佐の浜で下車。
ここに来てみたかったんですよね〜。
全国の神様が出雲に集う時はこの浜辺から上陸するとされているということもありますが、出雲大社が建立された理由そのものがこの浜辺と縁が深いわけですからね〜。
建御雷神と天鳥船神は、出雲国伊那佐の小濱に降り至って、十掬剣(とつかのつるぎ)を抜いて逆さまに立て、その切先にあぐらをかいて座り、大国主に「この国は我が御子が治めるべきだと天照大御神は仰せである。そなたの意向はどうか」と訊ねた。
建御雷神は出雲に戻り、大国主神に再度訊ねた。大国主神は「二人の息子が天津神に従うのなら、私もこの国を天津神に差し上げる。その代わり、私の住む所として、天の御子が住むのと同じくらい大きな宮殿を建ててほしい。私の百八十神たちは、事代主神に従って天津神に背かないだろう」と言った。
この「大きな宮殿」というのが、出雲大社のことです。
出雲日御碕灯台 9 レンズ 2
灯台の内側から見上げたレンズ部分です。
灯台のレンズと光源がそれぞれどのように動いているのか、いまひとつ理解できていないのですが、このタイプのものは、外側の巨大なレンズが光源の回りをぐるぐると回るということで良いのでしょうかねぇ。
そういえば、レンズの台座部分の円周上にモーターがあったような気も・・・。
出雲日御碕灯台 7 展望 3
北側の眺めです。
東側の写真が無いのは、実はこの狭いスペースに人が何人もいたため、撮るのを遠慮したからです。
日御碕に向かうバスはガラガラだったのに、灯台周辺にはたくさんの観光客がいたので驚きました。
出雲日御碕灯台 4 階段 2
最上部近くから下を見たところ。
所々に踊り場があって、最下部が素通しで見えるわけではないので、高度感はそれほど感じないかもしれません。
内部階段は勾配が急な上に、対面通行なのに幅が十分でなく、昇降には危険が伴う。特に最上階への18段は勾配が極めて急な梯子状の階段となっており、降りる際には細心の注意が必要である。靴を脱いでの参観となるため、階段、展望回廊の両者において非常に滑りやすいことにも注意されたい。小児、高齢者の参観は推奨出来ない。
書いてある通り、最上部の階段はかなり急でした。
石像
日御碕神社から出雲日御碕灯台へと続く道の途中にありました。
出雲大社に近い場所なので、大黒様かと思ったら・・・右手に持っているのは「金剛杵(こんごうしょ)」の一種のように見えますし、左手に持っているのはおそらく数珠ですよねぇ。ひょっとすると、空海でしょうか。
ちなみに、七福神の大黒天と、出雲大社の祭神である大国主との関係ですが、
日本においては、大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。
ということのようです。
日御碕神社 5 だるまみくじ 2
山盛りになっていただるまみくじの中から選んだのは、ぱっと目についたこのだるまさん。
後ろに見えているのが、「下の本社(日沈の宮)」の拝殿です。
おみくじは折り畳まれて、このような場所に。
ちなみに「中吉」でした w
日御碕神社 4 だるまみくじ 1
下の本社(日沈の宮)の拝殿で売られていたのが、このだるまみくじ。箱に大胆に盛られていました w ひとつ300円。
実は、各地の神社を訪れるたびに、このだるまみくじを探していたんですよね〜。ようやく出会えました。
全て木製で、表情も異なっています。
だるまみくじの存在を知ったのは、佐藤順一監督のアニメ作品「たまゆら」OVAのOPアニメーションがきっかけです。広島県竹原市の街並み保存地区にある愛宕神社という小さな祠が描かれているのですが、そこにこのだるまさん達が並んでいるんですよね〜。
昨年5月に、実際に竹原市を訪れて撮った写真がこちら。
この時点では、このだるまさんたちが元々はおみくじだったことも知らなかったのですが、以来、手に入らないものかと探していたわけです。
天候が気掛かりでしたが、これだけでも日御碕を訪れた甲斐があったというものです。
日御碕神社 3 日沈の宮
「下の本社(日沈の宮)」の拝殿と本殿(右奥)です。祭神は天照大御神。
ちなみに、この写真を撮った立ち位置の後ろにある「上の本社(神の宮)」の祭神は、神素盞嗚尊です。
雨がやんだとはいっても、曇り空で薄暗いのが残念です。午後2時半頃なのですけれどねぇ。
日御碕神社 2 回廊
日御碕神社で印象的だったのが、この回廊です。
日御碕神社はおおまかに言うと、境内の下部にある「下の本社(日沈の宮)」と、同じ境内の上部にある「上の本社(神の宮)」からなりたっているのですが、その両者を繋ぐ通路の一部がこうした回廊となっています。
日御碕神社 1 楼門
13:59 大社連絡所 発のバスに乗って、終点の日御碕バス停に着いたのが、14:18でした。最後まで乗っていた乗客は、自分を含めて4人だけ。
ところが、日御碕に着く頃には、雨があがってくれるという幸運に恵まれることに。
写真は、日御碕バス停のすぐそばにある日御碕神社の楼門です。
一畑バス 1 大社連絡所 待合室
雨にも関わらず、折角なので日御碕に行こうということでバスに乗ることに。
本来なら出雲大社の前にバス停があるのでそこから乗車できるのですが、遷宮祭期間中は路線が一部変更になっているようで、出雲大社の西側にある大社連絡所まで徒歩で移動。
連絡所というのも珍しい名前ですが、一畑バスでは営業所をこのように呼んでいるようです。
日御碕行きのバスが来るまでの30分ほどを、この待合室で過ごしました。
この大社連絡所から日御碕までの運賃は、490円でした。
そば処 田中屋 2 割子そば 四段
食べたのは、「割子そば 四段」。
一般的な蕎麦とは違って、そば猪口は用意されていません。店員さんが食べ方を説明してくれるのですが、簡単に書くと、
- お好みで薬味を蕎麦の上に載せる
- その上にそばつゆをかける
- 一段目で余ったそばつゆは、二段目で再利用
- 二段目以降はこの繰り返し
という感じ。
美味しかったです。そばつゆも良かったですね〜。
そうそう、そば湯はお願いすると持ってきてくれます。
味はもちろんですが、価格、店内の雰囲気、店員さんの応対など、とても良い印象でした。なかなか出雲大社を訪れる機会の無い人にとっての、最初のお蕎麦屋さんとして選択するのにも十分ふさわしいお店だと思います。
そば処 田中屋 1 メニュー
出雲大社をひと通り歩いたあとは、隣の古代出雲史博物館へ行き、無料で利用可能なスペースでしばらく雨宿り。無線LANが利用できたので、昼食のための店を検索し、近くにある「そば処 田中屋」に行くことに決定。
雨の中、20分ほど店の外で並びました。次々と人が訪れる、なかなか人気のあるお店です。
注文したのは、「割子そば 四段」920円。良心的な価格設定ではないでしょうかね〜。
出雲大社 5 拝殿 2
拝殿の様子です。ガラス戸になっているために周囲の景色が映り込んでしまって、肉眼でも中の様子はよくわかりませんでした。
そうそう、自分がカメラを構えていた背後では、数名の巫女さんが参拝者全員に紅白のお餅を配っていました。
出雲大社 4 拝殿 1
拝殿の前は、さすがに大勢の人でごった返していました。
「御仮殿」というのは、本殿修復工事の間、ご神体がこの拝殿を仮住まいとすることから、そう呼ばれていたようです。拝殿の名称が「御仮殿」なのかと思って、混乱してしまいました。
ちなみに、出雲大社というとよく登場する大きなしめ縄があるのは、この拝殿ではなくて、神楽殿です。
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