久しぶりに魚が食べたくなった時に、ちょうど期限間近で安くなっていたので。プリプリ感はあまりありませんでしたが w
iPhone SE2で撮影。
店内に入るとご常連さんが一人座っていて、いきなり「よくここに入れたね」というようなことを言われた。物語が始まりそうな、いいセリフだった。
昭和16年には24か所もこういう船があって、それが昭和20年になると13か所。で、今はうちだけ。
1965年父が作成した「羽幌炭鉱」PR映像が見つかりました。
半世紀以上の8mm映像で画質劣化と、音の歪がありますが当時の資料としてそのままアップいたします。
1965年~67年の頃の羽幌炭鉱の暮らし編、第2編です。
太陽小学校の運動会、炭鉱で働く従業員のお花見風景 築別鉱(築炭)のプール落成の日 等の記録です。
昭和45年に終焉を迎えた「羽幌炭鉱」
今回は、その年前に主催された海水浴シーンと終焉の時、「サヨナラ列車」の映像
羽幌炭砿は羽幌坑と上羽幌坑を新たに開坑し、築別坑を含めた三地区の往来のため、バスを購入しました。
羽幌炭鉱(はぼろたんこう)は、北海道北西部留萌炭田の中心的炭鉱。1935年操業開始。羽幌本坑、上羽幌坑、築別坑の3地区から成っていた。良質炭を産出することで知られ、大変人気があった。
1970年(昭和45年)12月にたて坑の密閉作業や、鉄道の廃止、閉山式を行って完全に閉山した。
筆者は、ノーベル賞受賞者の南部陽一郎さん、中村修二さん、眞鍋淑郎さんのように両親も祖父母も日本人で「日本の血」が流れているのに、海外で就労して現地の国籍を得たばかりに、それらの人を「日本人ではない」と日本国のシステムからいわば「放り出してしまう」ことについて、なぜ日本の愛国者や保守層が怒りの声をあげないのか不思議でなりません。