2022年11月20日日曜日

真光寺遺跡

本年度見つかった中世(鎌倉時代~戦国時代)の葬送に関わる遺構や、7世紀後半に造られた古墳の横穴式石室
中世の遺構は大きく分けて火葬施設と土葬墓の2種類。火葬施設は30基余り
50基ほどある土葬墓は真光寺の東40~50メートルの地点に集中し、多くが一抱えほどの小さな墓穴(中略)最初から頭部だけを埋葬した可能性
古墳は東西直径12メートルほどで、昨年度の調査で見つかった1基目や、市内の安塚古墳群・秋葉原古墳群と類似点が見られる。



穴同士が重なっていないことから、墓標などが立てられていたか、同時期に埋葬された可能性がある。
頭部を円筒形容器に入れて収めたとみられる穴も一部にある
合戦で討ち取った敵の首を持ち帰り、検分して武功を判断する「首実検」に伴って埋葬された可能性
真光寺遺跡に比較的近い梓川の対岸では1550(天文19)年に「野々宮の合戦」があった。
北条氏や上杉氏、徳川氏が信濃の領有を争った「天正壬午(じんご)の乱」に関わる可能性