2018年12月20日木曜日

給食か弁当か

公教育は、家庭の事情がバラバラな子供たちに、ある程度均一な教育を与えるためのものであり、その点に立ち返るなら、家庭の事情がバラバラな子供たちの食事事情を補うためにも、給食が望ましいのは当然の話である。

成長に必要なものを与えられる環境で育つのは、子供の権利であり、子供がその権利を享受できるようにするのは、大人の義務だ。この義務は、親の個人個人が、各々の子供に対して持つものばかりではなく、この社会の大人たちが、子供全員に対して、共同で持つものである。

だから、うちの子はいいが他所の子は知らんというのは、社会における大人の責任を果たしているとは言い難い。うちの子も他所の子も権利を享受できるよう、制度を整えるのが大人の役割であり、行政というものだ。だから、「給食を望む親は、手抜きがしたいだけ」などと言うのは、全くの的外れなのだ。

義務教育において給食以外の選択肢の可能性があることすら思いつかなかったほど、給食が当然だと思っていました。

小中学校の話から外れますけれど、保育園でも例えば3歳児以上は主食となるものを持たせるようなシステムのところがあるのですが、保育園ですからねぇ。子供の栄養や食の安全性、そして(通園全般に関する)親の負担を可能な限り減らすということを、どうして最優先事項として考えられないのか不思議です。