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2012年9月5日水曜日

「氷菓」第20話の感想

「氷菓」の第20話「あきましておめでとう」を観て以来、この話自体には「青春のほろ苦さ」的要素は無い、ということでいいのかどうかを考えていました。

無理矢理こじつけるとすれば、折木奉太郎と千反田えるの仲の良さに対して、観ているこちら側が「青春のほろ苦さ」を感じさせられるという趣向になっている、と考えられなくもないわけですが。

で、先ほど、再び第20話を観てみたのですが、折木奉太郎と千反田える、福部里志と伊原摩耶花・・・それぞれがやはり羨ましいな、と w それに比べて自分の高校時代は・・・みたいな流れにどうしてもなってしまいますね〜。

でもそれだと、やられっぱなしみたいで悔しいので、「青春のほろ苦さ」的要素を強引に見つけ出してみることに。で、思いついたのが次の点です。

まず、荒楠神社で奉太郎とえるが逢った場面。「(着物を)見せびらかしにきました!」と笑顔で言うえるに対して、奉太郎は褒め言葉をひと言も発することができないわけです。奉太郎にとってこのことは、あとになればなるほど後悔の度合いが大きくなる出来事となるはず。

ああいう場合はお世辞でもなんでもいいから・・・というのは大人の意見であって、若い時は言えないものですよねぇ、やはり。相手が同じ年齢の女の子であれば、なおさら言えないものでしょう。

そしてもうひとつは、旧家同士の付き合いというものがあって、折木家はそこには属していないということ、そして、そうした付き合いで必要となる社交上のマナーも当然のことながら身につけていないということを、奉太郎は自覚させられたということです。

えるは、個人云々よりも「家」というものが場合によっては優先されるような環境で生活しているわけで、奉太郎とえるという関係の背後には、折木家と千反田家という関係の問題も出てくる可能性があるということ。そこまで大げさではなくても、奉太郎にとってはこれまであまり考えたこともないであろう「家」を意識させられることにはなったはず。

で、この「家」の問題、もっとぶっちゃけた言い方をすれば、家柄や格式の違いの問題は、奉太郎の心情としてはプラス方向に働くことは無いわけで・・・。

ということで、強引に「青春のほろ苦さ」的要素を探してみたわけですが、我ながら必要の無い作業だった可能性の方が高いように思っています w

この話の最大のテーマは、やはり、福部里志と奉太郎の二人の意思疎通ぶりにあるのでしょう。

そうそう、千反田えるの父親の名前は、「鉄吾」っていうんですね〜。何か由来があるのでしょうか?


「家」の問題は、最終話である「遠まわりする雛」でもテーマのひとつとなっているように思います。