市教委や降幡さんによると、天保6(1835)年に開通した飛州新道は当初、安曇野の米を飛騨側へ運ぶなどの役割が期待されたが、26年後の文久元(1861)年に閉鎖され、廃道となった。
安曇野市三郷から大滝山を経由して上高地に入り、飛騨へと続くこの道は、播隆上人が槍ヶ岳の開山を目指して通った道でもあります。
で、時系列で整理してみると、
1820年(文政 3):着工
1828年(文政11):播隆上人が槍ヶ岳開山を成し遂げる
1835年(天保 6):開通
1861年(文久元):閉鎖
ということで、播隆上人が槍ヶ岳登頂を目指していた時はこのルートはまだ工事中だったわけです。
それはそうとして、「飛州新道」は「飛騨新道」とも言いますが、どちらが一般的なのでしょうかね〜。
この道、一度は歩いてみたいと思っています。
この道、一度は歩いてみたいと思っています。