2012年8月31日金曜日

「いわゆる河野談話について」を読んで

本人のヒヤリングで強制性の認定をしたのは大きな間違いだというご批判があるわけです。われわれは何度も聞かされてます。ただ私どもは、そこをどうするかは、内閣としても、政府としても、判断に苦慮したところなんです。だけども十六人のうち、自分の意思ではなく慰安婦にさせられた、その置かれた状況のもとでやむなく慰安婦になった、あるいは瞞されてなったという人が間違いなくかなりいる。これはヒヤリングを通して真実であることに間違いないという担当官の報告が出たのです。日本政府も韓国政府も、担当官にはなんらのプレッシャーをかけてないわけです。人道的立場でヒヤリングをやってもらい、その報告を受けたわけです。それを政府としては、彼らの心証を大事にしていこうと考え、それが強制性の認定につながったわけです。

歴代の政府が海外に向けて表明してきた態度なのですから、一度は目を通しておくべきでしょう。

で、自分が言いたいのは次の点。

この件に限らないことですが、公式・非公式に限らず文章が残っていないから史実として存在しない、なんていうのはどれだけ驕り高ぶった人間の態度かと。

公的な歴史というのは時々の権力者によって都合の良いように改変されるものなのですから、少なくとも知識や教養を有すると自覚する者ならば、そこからこぼれ落ちた事実をいかに拾い上げるかということにも力を注ぐべきでしょうね〜。