後半の絵は、京アニが渾身の力を込めたという感じで素晴らしくキレイでしたね〜。スタッフの気迫が伝わってくるようでした。素敵なまとめかたではありましたが、これで終わってしまうのはあまりにもったいないような。続編を期待したいところです。姉の折木供恵のことは、結局謎のままですしねぇ。
— raven さん (@raven_xx) 9月 17, 2012
とうとう、最終話の「遠まわりする雛」を迎えてしまいました。登場人物がひと通り出揃ったところなのに、もう終わり? みたいな印象もあって、まだまだ続いても不思議ではないような気がしています。
今回の話で特に印象的だったのは、なんといっても夕暮れが迫る神社からの帰り道でのえるのセリフです。
豪農千反田家の娘として生きる覚悟を折木奉太郎に話すわけですが、それはおそらく今まで誰にも話したことがないものだったハズ。
- える:無事、大学に進学しても、私はここに戻ってきます。どんなルートをたどっても、私の終着点はここ。ここなんです。
2年生からの文理選択の話があって・・・。
- える:私はここに戻ることを嫌だとも悲しいとも思っていません。千反田の娘として相応の役割を果たしたいと思っています。
この土地や人々の生活を少しでも豊かにできれば、と考えた結果、理系を選択することにしたと明かすえる。
- える:見てください、折木さん。ここが私の場所です。水と土しかありません。人もだんだん老い疲れてきています。私はここを最高に美しいとは思いません。可能性に満ちているとも思っていません。でも・・・折木さんに紹介したかったんです。
奉太郎の妄想が入って・・・。
- 奉太郎:寒くなってきたな。
- える:・・・いいえ、もう春です。
一陣の風を受けて狂い咲きの桜から舞い散る花びらは、一枚一枚がハートのマークになっているんですよね〜。
二人の足下には4本のツクシ。そして、「Little birds can remember.」の文字・・・。
これらのシーンは、セリフ、絵、動き、音楽・・・どれもがもう見事過ぎて・・・。
特に、これから高校2年生になろうという年齢のえるが発した一連の言葉・・・けなげで、いじらしくて、重みがあって・・・そこに込めた彼女の想いを想像すると堪らないものがあります。土と水しかなく、老人ばかりで、しかも最高に美しい風景が広がっているわけでもないこの土地で、豪農の娘として生まれ育った宿命を受け入れ、自分のことよりも「家」のことを優先して生きることを覚悟しているわけですから。
自分の場合は故郷を飛び出すことしか考えていませんでしたし、大学進学もほとんどそれが狙いでしたから、「私はここに戻ってきます。どんなルートをたどっても、私の終着点はここ。ここなんです」というえるの言葉はずしりと胸にくるものがあります。
えるがずっと考えてきた想いの前で、奉太郎のその場で思いついたような妄想は、やはり飲み込むしかなかったのではないでしょうか。もし口にしていたとしても、えるは少し困ったような笑みを浮かべて、聞こえなかったフリをするような気もします。
この最終話は、もどかしさ、切なさ、郷愁・・・そうした諸々の感情を、これでもかというくらい詰め込んでくれたという感じですね〜。
「遠まわりする雛」の「雛」は、直接的には「どんなルートをたどっても、私の終着点はここ」だと言うえるのことでしょうけれど、将来について迷い続けるであろう高校生の登場人物全員のことでもあるでしょう。あるいは、出会ってもうすぐ1年になろうという時になって、えるへの気持ちをようやく自覚した奉太郎のことでもあるかもしれません。
そして、Little birds can remember.・・・えるや奉太郎、里志、摩耶花達は、この日のことを、この土地のことを、そして、この高校生活のことをずっと忘れないということでもあるのでしょう。
奉太郎とえるの二人の将来は・・・自分としては、微妙な距離感を保ちつつも、カップルになることも、ましてや結婚することも無いような気がしています。「あの時、あの場所で、あのひと言を発することができていたなら」・・・そんなほろ苦い思いを二人は互いに抱きながら、それぞれの道を歩んでいくことになるのではないでしょうか。縁側に座って、怪しいと思う人物の名前を手のひらに書いて見せ合った、あの他愛もないひと時を、10年後、あるいは20年後、もう手の届かない貴重な想い出として懐かしく、そして愛しく、別々の場所で生活をする二人が同時に思い出している・・・そんな情景を想像してみたり。
この予想が外れて、奉太郎が千反田家に婿入りするというような展開になれば、もちろん、そのほうが嬉しいのですけれどもね〜。
でも、本当に美しくて素晴らしいクライマックスでした。
ところで、あの桜は実在するのでしょ〜か。もし、桜もあの道もモデルとなったところがあるのなら、いつか、できれば桜の時期に訪れてみたいものです。
追記 1
桜の花びらは、第1話「伝統ある古典部の再生」でもハートとして描かれていますね〜。そういうカタチのものとして描いているのか、第1話からすでに意味を持たせているのか、どちらなのでしょう?
追記 2
第20話「あきましておめでとう」も、この話と少し関連があると思われるので。
追記 3
「氷菓」第22話「遠まわりする雛」に登場したあの桜は、飛騨一之宮にある「臥龍桜」がモデルでしょうか? 根拠も自信も全くありませんが。
— raven さん (@raven_xx) 9月 18, 2012
追記 4
「飛騨生きびな祭り」は、毎年4月3日に飛騨一宮水無神社で。
追記 5
2012,09,21(金) 21:00から放送の「ラジオ☆聡美はっけん伝!」で、この第22話の感想を書いたメールが読まれました。
追記 6
岐阜県出身。2007年現在、東京都に在住している。岐阜県立斐太高等学校、金沢大学文学部卒業。
著者の米澤穂信さんも、大学進学を機に地元を離れたようです。
えるのように郷里でしっかりと生きようとする人に対して、惜しみない敬意とともに、少しうしろめたいような気持ちも感じていらっしゃるのかもしれませんね〜。
こちらでも少し触れています。
追記 7
「氷菓」の感想をいろいろと読んでいると、千反田えるが折木奉太郎を様々なイベントに誘い出したりしているのは、千反田家の婿候補として考えていて、テストを重ねているからだという意見もあったりするわけで。
豪農の婿であれば、えるに家を仕切る能力があればそれでいいのですから、省エネ主義の奉太郎にとっては願ったりかなったりのことかも w
ただ、婿入りすれば、地元の人から「奉太郎さん」などと呼ばれるのは面と向かった時だけのことで、「千反田家の婿」というのが通称になるでしょう。集まりに出ても、あくまでもえるの代理人という扱いになるハズ。名ばかりの実権無しの存在。その他もろもろの事も合わせて精神的に堪えられるかどうか・・・。
そういう観点からすると、第22話のクライマックスで奉太郎が迂闊なことを口にしなかったのは正解だと。えるの術中からよくぞ逃れたと w まぁ、そういう感想になるわけです。
奉太郎を千反田家に婿入りさせるという計画が神山市内で企画・実行されているとすれば、姉の折木供恵はえると組んでいそうですよね〜 w
追記 8
2012,10,27 臥龍桜を見てきました。