「ももへの手紙」を最後まで観ました。絵もストーリーも良かったのですが、惜しいのは台風の夜に起こる一連のドタバタ劇ですねぇ。あの場面は、話も演出も絵もその前後から浮いてしまっているという感じ。妖怪たちの活躍は、何か別のカタチで描いたほうが良かったように思います。
— raven さん (@raven_xx) 11月 17, 2012
昨日(17日)の夕方から「ももへの手紙」を観ていました。
興行的にどうだったのかは知りませんが、ネットで見る限り(自分が徘徊している範囲で、ですが)、自分が思っていたほどには話題にならなかったような気がします。
人気が伸びなかったとすれば、上記のTweetの件に加えて、主人公である宮浦ももの外見の設定や描写を、リアル方向に振り過ぎたということが大きいのではないかと考えているのですが、どうでしょうか? 宮浦ももの、小学6年生らしい可愛らしさが描かれていないような気がするわけです。
その結果として、妖怪達はもちろんですが、脇役達のキャラのほうが目立ってしまっているというか。特に母親の宮浦いく子や郵便局員の幸市の方が、強く印象に残るキャラとなっているように思います。
主人公の宮浦ももは、観てからしばらく経つと、外見的にはちびまる子ちゃんを細身で長身にしたような感じ、みたいなイメージしか湧いてこないんですよねぇ。脇役キャラに完全に喰われてしまっているという印象。
この作品はスタジオジブリの「千と千尋の神隠し」と比較されることが多いのではないかと思うのですが、「千と千尋の神隠し」において、あれだけ多くの個性的なキャラが登場しながらも、荻野千尋の外見的なイメージがしっかりと記憶に残っているということとは対照的というか。このあたりは、さすがは宮崎駿監督という感じでしょうか。
宮浦ももの、例えば一瞬の笑顔だけでも、それを捉えたインパクトのある描写があれば、主人公としての印象や、ひいては作品全体の評価がかなり異なったものになったように思うわけです。
それにしても、ほぼ同じような時期に大崎下島をモデル地とした「ももへの手紙」と、佐藤順一監督の「たまゆら」シリーズが、ともに主人公の父親が亡くなったことを話の前提とし、主人公の女の子や家族がその悲しみのまっただ中から一歩ずつ歩み出そうとしている様子を描いているということ、逆に言えば、そうした話を描く際に大崎下島や瀬戸内をモデル地としたということは、単なる偶然なのでしょうかね〜。
2012年5月に大崎下島を訪れた時の写真は、こちらから。