2021年1月28日木曜日

「臥雲式縄ない機」

旧山辺学校校舎によると、この縄ない機は、明治期に紡績機の「ガラ紡機」を発明した臥雲辰致=安曇野市堀金三田出身=の四男・紫朗が手掛けた。







1873年、兎川寺の本堂を仮校舎として兎川学校が発足。1885年、当時の里山辺村・入山辺村の2村により現在も残る校舎が新築される。費用は両村の村費と寄附金ですべてがまかなわれた。
棟梁の佐々木喜十によって設計施工された擬洋風建築である。佐々木は1875年に松本市開智に建設された開智学校の工事に参加しており、全体の構成、塔の姿、石壁を模した漆喰の腰壁などに影響を受けている。