2022年8月6日土曜日

宝積山 光前寺

杉並木参道


奥に見えるのが三門。

「苔の古道」


当然のことながら、立ち入り禁止。

「レンゲショウマ」


参道の石垣の上に咲いていました。


本堂


1851年に再建されたようです。

「早太郎の墓」


「信州の早太郎」に怪物退治を頼む他ないと考えた僧侶は、信濃へ行き、1年近くもの間に方々を探しまわった末、光前寺の早太郎を見つけ出し、事情を説明して和尚から早太郎を借受けた。
戦いで深い傷を負った早太郎は、光前寺までたどり着くと和尚にひと吠えして息をひきとったと言われている。 早太郎を借り受けた僧侶は、早太郎の供養のために大般若経を光前寺に奉納した。これは寺宝として経蔵に保管されている。また、本堂の横に早太郎の墓がまつられている。
この話は「猿神退治」として、まんが日本昔ばなしの昭和51年7月31日放送分でアニメ化されている。

「上穂十一騎(うわぶじゅういっき)の祠」


大阪冬の陣において、大阪方の真田幸村に与(くみ)するため、この地を治める千村氏の家臣十一騎が密かに大阪城へ入城した。これが上穂十一騎であり、顔触れは、駒ヶ岳大弐坊、春日昌義、小林義国、塩木九四郎、湯原三四郎、田中員近、北村政明、荒井圓書之助、横山五郎、北原春之助、木下大隅で、いずれも二男三男であったという。
大阪夏の陣が起こり、この時も真田幸村に与するべく大阪城へ入り、道明寺の合戦においては真田隊とともに伊達政宗軍と奮戦し、翌日の天王寺口の合戦において徳川本隊へ突入、上穂十一騎は本多忠朝軍と戦い、真田幸村とともに最後の最後まで奮戦したが、幸村以下上穂十一騎は悉く戦死したと伝えられている。