盆花というのは、メドハギやミソハギのように、まっすぐ天に向かって伸びるもの。まっすぐ伸びた先に霊が寄りつきやすいという考え方があるからと考えられます。
お盆を終え、ご先祖様がお帰りになるときに、お土産を束ねて背負うものという考え方ですが、うどんやそうめんがこの「背負い縄」の役割を果たします。
水の子は、家の仏様が帰ってくるときに一緒にやってくる有象無象の雑霊、先祖の霊からいえば周辺的な不特定な霊物の類にあげる食べ物のことと考えられています。おなかを空かせている飢餓の霊、のどが渇いている飢渇の霊、つまり餓鬼、に供養してあげるには、水や米がいちばんだと考えられていた
「無縁仏に配慮している」という考え方もありますが、逆に「あなたたちはうちの座敷にはあがって来ないでね」という昔の人たちの気持ちもそこにはありました。ご先祖様がゆっくりと休んで供物を食べてくださるために、その他にやってくる雑霊の類に対してはそれなりに区別してお供えするという考え方