当時書かれた手記をいくつか読むと、戦後の日本とまったく同じような情景が描かれている。貧しかったイタリアの子供たちは連合軍が配るチョコレートやキャラメルに憧れ、兵士たちが余暇に興じるベースボールなるものに魅了された。専門誌の記事によると、1946年からの2年間にローマ市内だけで52チームが結成されたらしい。
イタリア球界がタイトル獲得に強いこだわりをもつ欧州選手権での中心は国内組であり、生まれも育ちもアメリカ大陸でイタリア語も話せない“WBC代表”が、選手からもファンからも身近な存在に感じてもらえないのは無理からぬ事だ。
『タッチ』は1988年頃、イタリアの民放で放送されていたらしい。「たっちゃん」ことラーズ・ヌートバーが日本で現在大人気だが、30年以上前に「タッちゃん」こと上杉達也と浅倉南がこの地で人気だったとは……。
目の前にいるイタリア野郎たちは、サッカーの国に生まれ育ちながら『キャプテン翼』よりも『巨人の星』を選んだ、愛すべき野球バカばかりなのだ。