78年前の今日。1945年7月28日,青森大空襲。深夜に来襲した62機のB29による爆撃の結果,死傷者1767名・焼失家屋18045戸の被害が生じた。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/UJUcQ0gizA
— 渡邉英徳 wtnv (@hwtnv) July 27, 2023
7月28日21時15分、青森県地区に警戒警報が発令された。それから間もない22時10分に空襲警報が発令。この頃、前進基地の硫黄島を離陸したB-29は、仙台湾から男鹿半島へ抜け、鰺ヶ沢町付近から青森市に向った。 そして暗闇に包まれた青森市に現れた62機(内1機は投下失敗)のB-29は、照明弾で市内を照らしたのち、22時37分、焼夷弾の投下を始め、23時48分まで続いた。M74六角焼夷弾38本を束ねた2186発のE48焼夷集束弾が投下され、83000本もの焼夷弾が降り注いだ。青森市立橋本小学校付近に居た人たちは一気に浦町駅(現在の平和公園)の方向へ逃げていった。