ページ

2013年4月27日土曜日

上田池堰堤 7


麓からの道がある側から撮った堰堤です。対岸にバイクを停めてあります。

上田池堰堤の見物を終えたあとは、円筒分水が近くにあるという話もあったので少し探してみたのですが、見つけることができず、淡路島南ICから神戸淡路鳴門自動車道に入り、大鳴門橋を渡って四国の実家へと向かいました。

そういえば、今回の帰省で、本州四国連絡橋の3つのルートは全てバイクで走ったことに。
 


追記

香川県観音寺市にある豊稔池堰堤も訪れました。

上田池堰堤 6 40m下

P4273278

堰堤中央部から下の様子を撮った写真です。約40m下はこのようになっています。

もっと高さがあれば、感覚が付いて行けずに恐怖心が薄らいでしまうかもしれませんね〜。これくらいの高さの場合は妙な生々しさがあるために、却って怖さを感じてしまうようにも思います。

上田池堰堤 5 上田池

P4273276

堰堤中央部から上流方向の眺めです。

上田池は「こうだいけ」と読むようです。

上田池堰堤 4

P4273275

堰堤の池側はこんな感じ。オーバーフローした水が絶えず流れ落ちていました。

上田池の満水時の水深は35.5mということで、堰堤付近が一番深いのかどうかはわかりませんが、それでも水面を見ているとゾクゾクしてきました。

上田池堰堤 3

P4273272

こんな急角度に、そしてこんな高さにまで、よくも石を積み上げたものだと感心してしまいます。

堰堤の高さは41.5mということですが、安全な場所から写真を撮っていても足がすくむ思いでした。

上田池堰堤 2

P4273273

上田池堰堤の上は、車輌が通行できるようになっています。カメラを構えた後ろに、バイクを停めています。

向こう側に麓からの道があります。左側が麓の方向です。

とはいっても、自分はバイクでしたから問題ありませんでしたが、ここに至るまでの道は、舗装はしてあるもののクルマ1台分の幅しかないような林道のような道路。普通車以上だと、すれ違いやUターンで相当苦労するかもしれません。

上田池堰堤 1

P4273285

伊弉諾神宮のあとに向かったのが、南あわじ市にある上田池堰堤です。

1932年に竣工した農業用水確保のための石積みのダムで、堰堤の高さは41.5m、長さは131mという巨大さ。

遠くから見ても、迫力があります。

伊弉諾神宮 5 本殿


本殿の竣功に引き続いて、神陵の墳丘を覆うように二重に基壇を設け、真新しい本殿を神陵の真上に移築したのは、明治一二年のことです。
この地で終焉の時を迎えられた伊弉諾大神は、その住居の跡に神陵を築いて(現本殿の位置)お祀りされ、これが最古の神社である伊弉諾神宮の創祀の起源だとされています。 

イザナギの陵墓の真上に建てられているということのようで、それはまた随分と大胆な、と思ったりもして w

永らく禁足の地だったということで、いろいろな制約があるのかもしれませんが、考古学的にはどういう場所なのでしょうかね〜。

伊弉諾神宮 4 拝殿 3


向こうに見えるのが本殿です。

一般の参拝客はここから先は入れないわけですが、この日は結婚式か何かが予定されているらしく、いろいろと準備が行われていました。

伊弉諾神宮 3 拝殿 2 大麻


「大麻」と書く場合も、「おおぬさ」と読むのでしょうかね〜。

拝殿の中央部分ですが、このように「大麻」が置いてあるケースを自分は他で見た記憶が無いような。

伊弉諾神宮 2 拝殿 1


午前8時半頃ということで、訪れている人はほんの数名という状況。巫女さん達が竹箒で掃いている姿のほうが目立つくらいでした。

拝殿や本殿などは古いものではなく、明治時代に建てられたもののようです。

伊弉諾神宮 1


「アテーナ淡路」を午前8時に出発して、最初に向かったのがこの伊弉諾神宮です。

平たく言えば、国造りの仕事を終えたイザナギが、隠居し余生を送ったとされる地に立てられた神社ということになるでしょうか。

神話と直接結びつくような神社を訪れて思うのは、どうしてこの場所が選ばれたのか、という点ですね〜。

このケースでいうなら、イザナギはどうして海沿いの土地を選ばなかったのか、あるいは淡路島の北端や南端では何が都合が悪かったのか、というようなことです。まぁ、自分のくたびれた脳みそでいろいろと考えてみたところで、それらしい推測のひとつもできないわけですけれども。



追記

四国からの帰りには、やはりイザナギを祀る滋賀県多賀町にある多賀大社を訪れました。