2019年2月7日木曜日

臨済宗の座禅と曹洞宗の座禅

臨済宗の坐禅は、「円を目指す坐禅」であり、
曹洞宗の坐禅は、「円を真似た坐禅」なのである。

こういう話は面白いですよね〜。

日本の学校で清掃が教育の一環として考えられていたり、サッカーの試合後にサポーターや選手が掃除をしようと思い立ち実行してしまうのは、禅宗の影響があるからだと思っているのですが、そうした作務の起源についてもチラッと紹介されていました。

原始仏教では僧侶は生産活動が禁止されており、自分で何かを作ることが許されなかった。
だから僧侶は午前中に托鉢に出て、在家の方々からの施しで食事をまかなっていた。
しかし中国の山奥に禅寺を建てて修行し暮らすとなると、托鉢だけで生きることは非常に難しくなった。
(略)
そこで百丈禅師は畑を耕し作物を育てることも立派な修行であると清規に定め、生産活動を肯定したのである。
そういった労働を禅寺では「作務(さむ)」と呼び、作務も重要な修行という概念が次第に定着していった。

この説明では生産に関わる労働を「作務」としていますけれど、次第に料理や清掃等々、日常のあらゆる行動が作務に含まれるようになったのでしょう。