ならば値踏みされるのはある意味お互いさまであること、だからといってそれを許したり認めたりしていいのか考える必要があること、お互いを消費してしまうとしてもそれだけではない関係も築けること、消費という関係性が人を救う場合もあってしまうことなどを、ひとつひとつ学んでいくことはとても大事ですよね。そういうのはきっと、共学環境下のほうが学びやすいと思うのです。
引用した箇所は、この文章を書いたシロイさんが共学校の(想像上の)メリットとして挙げている部分です。
自分が卒業した公立中学と私立高校はどちらも共学で、四国の片田舎の、素朴というよりは粗野な雰囲気に満ちていた学校でしたが、それでも、さすがに高校生ともなると、容姿を主な基準として表立って値踏みするような連中はいなかったと思いますけれどねぇ。
シロイさんの言う「外見至上主義」が公然とまかり通って傷つけ傷つきあっていたのは、小学校の高学年から中学校の前半くらいだったような。なので、この点で女子校のメリットがあるのは中学校かな、と思ったり。
私の思う女子校的価値観というのは、あくまで母校の校風の話であって、他の女子校とは違う可能性もあるんですけどね。
寄せられているコメントなども読んでみましたが、結局、女子校か共学かということよりも、どういう生徒が集まる学校なのかが問題だと思うんですよね〜。進学でもスポーツでも創作でもいいですけれど、目的意識の高い生徒が集まっている学校では、各自が目標実現への努力に忙しくて、他者を貶めたり値踏みしたりすることに、あるいは逆に過度に持ち上げたりすることに興味すら持たないような生徒が多いような気がしますけれども。
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