2018年12月31日月曜日

明治の寺院破壊

松本藩では、最後の藩主戸田光則の新政府にたいする「忖度」が背景になって、激烈な廃仏毀釈が吹き荒れた地域である。

1870(明治3)年のおよそ1年間で、164カ寺のうち124カ寺が廃寺になっている(破却率76%)。
旧開智学校は八角形の塔のついた和洋折衷のモダンな建物だ。明治初期における近代教育の礎となった場所でもある。実はこの旧開智学校は全久院でバラされた建材のほか、戸田によって破壊された松本市内の寺院計3カ寺の建材によって組み立て直されたものだ。

引用箇所は3ページ目です。

松本や安曇野では寺院が少ないという印象があったのですが、廃仏毀釈の影響があったんですねぇ。

今、読んでいる本が廃仏毀釈についてのものなので(←『神々の明治維新 ー神仏分離と廃仏毀釈ー』安丸良夫、岩波新書)、タイムリーな記事。

日本人自らの手によって、有形無形の仏教関連文化財の大量破壊活動が大々的かつ徹底的に行われたということでもあるんですよねぇ。