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— きりゑだう (@kirie_folklore) November 21, 2024
八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の神話を読み解けば、
斐伊川上流に住む八岐大蛇とは、荒れる時には鉄分を含む褐色の砂が奔流し、農民が作り上げた稲田を呑み尽くす斐伊川そのもののことであろう
また、その犠牲になるはずであった稲田姫(イナダヒメ)とは、その親を稲田宮主という点からして
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農耕地、総じて稲田の人格・象徴化であったろう
或いはまた、川や水の神霊に奉仕する巫女による宗教的儀礼のあったことも想像される
そして、この八岐大蛇を素戔嗚(スサノオ)尊が退治したということは、治水の成功を言おうとしていることはすぐにも察せられるが、そればかりではない
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ここで肝要なのは、八岐大蛇の身体から剣(天叢雲剣=草薙剣)が出現したという点である
古代日本においては、蛇と剣とは共に融け合って一つのものと捉えられていたと考えられる
それは『播磨国風土記』においても、出土した霊妙な剣を火に入れると不思議に伸び屈みし、
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まるで蛇のようであったと記されていることや、
各地から出土した、蛇神や水神にまつわる祭祀に用いられたと考えられる蛇行剣の存在によっても察せられよう
また、稲田姫が水神としての八岐大蛇を祀る巫女であったとするならば、この大蛇もまた農耕に結びつく水の霊威であり、
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総じて農耕神そのものであったと言わなければならない
これは大蛇が川上の上流に出現したということが端的に物語っており、
このことは京都の貴船神社の由緒として、神武天皇の母・玉依姫(タマヨリヒメ)が淀川を遡って川上に水神を祀ったことに始まると伝えていることからも考えられよう
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川上は神霊の在しますがゆえに神聖視されるのである
そして、古代において神とは“人に奉ぜられた神”であり、人とは“神を奉ずる人”であって、
当然、八岐大蛇や素戔嗚尊にも、この神々を奉じる社会的集団のあったことを想定しなければならない
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以上のことを総合すると、素戔嗚尊が大蛇の身体から神剣を得たということは、出雲という地域社会の社会結合、または統合の中核体としての自己が表象されたということになり、
ここにおいて「出雲」という単位の政治的統合が成立したと考えられる
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そして、その社会的結合の表象としての素戔嗚尊がこの神剣を天照大神に献上したということは、
大国主神による国譲り神話の原型が、ここにおいて成立したと見ることもできるであろう pic.twitter.com/VaBJf5f5XU