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2012年8月13日月曜日

議論の効用

起こりうるのは「一部の人に、自分の意見を放棄させる」ということだけです。話し合って合意に達したように見える状況を思い浮かべて下さい。
 そこで起こったことは、「議論を通して、全員が同じことを信じるようになった」ということではありません。一部の人が「まあいいや、お前の判断に従おう」と考えたから合意に至ったのです。「今回はそっちの方法でやってみようと思った」というだけです。

「議論をする」ということを、「三人寄れば文殊の知恵」的な創造の場ではなく、判断を下すための前提として各自意見を述べ合う、主張するという意味に限定するのであれば、議論というのは、確かに誰かの意見を放棄させることなのかもしれませんね〜。

ただ、各自が言いたいことを発表する議論には、上記の引用箇所にもありますが、みんなの前で発言できたから「まあいいや」と思わせるガス抜きの効果が期待できるという側面もあると思います。

議論の主催者側の立場で言えば、「言いたいことが言えたから、あとは議長の判断に任せます」みたいな方向に持っていく作戦です。で、紛糾している会議もこれで収まってしまうケースが意外と多いのではないでしょうか。意見を放棄させる側にとっても好都合ですし、意見を放棄させられた側にしてもスッキリとした気持ちにはなれるわけです。

別な言い方をすれば、「持論はあるけれども、仮にそれが可決・実行された場合の責任はとりたくない」というスタンスで議論に臨む人や、判断の責任を取れる人と取る立場にない人が入り交じって議論が行われるケースって、実はかなり多いのではないかと思うわけです。

意見はあるけれど、責任は負いかねる、あるいは責任を取りようにもその立場にない、という人たちをまず満足させるには、こうした議論の場は設けたほうがいいですよね〜。で、実質的な決断の場からは退席願うと w 政党の党内集会や株主総会などは、こんな感じなのではないでしょ〜か。

ここでいう議論の多くは、参加者にとって価値があるのではなくて、議論を主催する側にとって都合の良い結果をもたらすためのものと言えるのかもしれません。


「氷菓」第17話 覚え書き 2 天才と凡人

以下、ネタバレに近いものがあります。

カンヤ祭を舞台に発生する連続盗難事件という話と並行して、もうひとつのテーマが描かれてきていました。圧倒的な才能を持つ者に対して、(自称)凡才が感じてしまう嫉妬・ねたみ・引け目・憧れ・尊敬・・・といった諸々の感情。

話をザックリと簡単にすると、天才と凡才、凡人から見た天才ということになりますが、この第17話「クドリャフカの順番」では、以前から描かれている折木奉太郎と福部里志の関係に加えていくつかの例が明らかになりました。前者が天才、後者が凡才として整理すると・・・矢印は、鬱屈した感情 w がどちらに向いているか、です。

  • 折木奉太郎←福部里志
  • 安城春菜←河内亜也子
  • 陸山宗芳←田名辺治朗
  • 安城春菜・河内亜也子←伊原摩耶花

田名辺治朗は、陸山宗芳と安城春菜という二人の天才に接していたわけですからねぇ。同様に漫画研究会の部長である湯浅尚子も、河内亜也子、そして(直接は親しくなくても)安城春菜という天才の存在に複雑な感情を持っているのかも知れません。

それから、福部里志は入須冬実をやはり天才として分類していそうな気がします。「愚者のエンドロール」において、入須冬実から、あるいは折木奉太郎・入須冬実ペアから感じた疎外感は、自分が彼らの前では凡人に過ぎないという現実を改めて突きつけられたことによるものでしょうし。

そういえば、「喫茶 一二三」で入須冬実が折木奉太郎に協力を依頼する時に披露した例え話も、圧倒的な才能を持つ者と凡人についての話でした。

奉太郎の姉の折木供恵や千反田えるも、天才に分類される人物でしょうね〜。

となると、福部里志と伊原摩耶花の二人が凡人を代表するキャラということになるわけで、ひょっとすると作者はこの二人に対しては奉太郎や千反田える以上に想いを込めて描いているのかも知れません。

まとまりの無い内容になりましたけれども、この手の話になるといつも思い出すのが、映画「アマデウス」です。天才のヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトに対するサリエリの複雑な想い・・・。

でも、天才の偉業を、あるいは天才が天才である所以を広く伝えることは、実は(自称)凡人にしかできない仕事なのかもしれませんね〜。

「氷菓」第17話 覚え書き 1 謎

「氷菓」の第17話「クドリャフカの順番」を観た直後の印象というか、(自分にとって)不明な点を。1回観ただけなので、単なる見落としに過ぎない項目ばかりかもしれませんが・・・。

  • アカペラ部員がアップルジュースを持ち込んでいなければ、何を盗るつもりでいたのか。
  • 占い研究会のテント内に潜り込む不自然さをどのように回避したのか。
  • 占い研究会の部長がいつ戻ってくるかわからない状況の中で、タロットカードから「運命の輪」のカードだけを抜き取るという芸当を可能にした手口。
  • 園芸部から大きく目立つAK(を模した水鉄砲)を持ち去った際の手口。
  • 奉太郎も指摘した「料理研究会」という名称の不自然さについて、当のお料理研究会のメンバーは納得済みだったのかどうか。
  • 「ワイルド・ファイア」の会場を準備中に歩き回り、キッチンを物色するという行為がどうして怪しまれなかったのか。
  • 当初の予定では、古典部と工作部のどちらをターゲットにし、何を盗むつもりでいたのか。
  • 奉太郎の姉はどうして壊れた万年筆と「夕べには骸に」を渡したのか。
  • 伊原摩耶花の「夕べには骸に」は結局どこに?

頭に浮かんだ疑問点をざっと書き出してみましたが、次回以降で何か説明があるのかも。

それにしても、「安心院鐸玻」にもう少しこだわるべきでした。何かあるのでは、と思ってはいたのですが、掘り下げて考えてみることをしませんでした。そこが悔しいですね〜。

それと、「氷菓」で描かれたカンヤ祭にまつわる例の事件と、今回の事件とがどこかでクロスすると考えていたのですけれども、それもハズレのようです。なかなか難しいものですねぇ。

爲末大さんのコラム



引用箇所はありません w

この記事ですが、少ないスペースで二つのテーマを取り上げたために、どちらも言葉が足りていない感じがしてしまうのが残念です。

  • 例の韓国選手の行動
  • 五輪の理想

タイトルともなっている前者の問題に関しては、出場した選手達はみな五輪憲章を遵守することを誓約しているということのようなので、例の選手の行動が五輪憲章に違反するものなのかどうか、自らの誓約行為に背くものなのかどうなのか、をシンプルに考え、論じればいいことだと思います。

後者のオリンピックのありかたの話、前者の問題と絡めて言えば五輪憲章の成り立ちとその目指すところは何かという話になると思うのですが、これをこのスペースだけで書くのはちょっと無理だったのではないでしょうかね〜。

ひとつめの問題で1回、ふたつめのテーマで2回から3回分くらいのスペースは、少なくとも欲しいところ。

日本(JOC)として韓国選手の行動にどう抗議するかについては、爲末大さんが書いたように、あくまでも五輪憲章を汚す行為だったのでは?という観点からのみIOCやFIFAに訴えるというのが一番だと思っています。