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2019年3月11日月曜日

落鳥


文鳥への想いが伝わってくる文章ですね〜。文鳥もこの筆者と出会い生活できたことを、きっと喜んでいるでしょう。

子供の頃、家で文鳥や十姉妹(ジュウシマツ)を飼っていました。母が熱心に世話をしていましたけれど、当時の母にとって小鳥たちが心の支えになることが多々あったのかも。

そういえば、自分の実家のある四国の片田舎にも昔は小鳥屋さんがありましたけれど、そのくらい小鳥を飼うのは普通のことだったということでしょうかね〜。

ゴールウェーへのツーリング動画 6


一難去って、また一難という感じ。こういうツーリングのほうが思い出には残りますよね〜。その時は大変ですが。

おじろく、おばさ

そこでは次男坊、三男坊が家を継げないだけではなくて、長男のために生涯を捧げるというか、長男のために尽くして生涯を終えていく
 1964年に刊行された専門誌『精神医学』(医学書院)は、信州大学の研究者らによる調査結果を伝えている。同誌によると、《長野県の山奥の部落で古来その未分化的社会情勢に応じて人間疎外がやむをえず行われ》たとし、彼らの特徴を《感情が鈍く、無関心で、無口で人ぎらいで、自発性も少ない》と指摘した。

引用箇所は2ページ目です。

現在の天龍村の神原あたりの話でしょうか?

過去に、おじろく(男)、おばさ(女)という風習があった。16世紀から17世紀にかけて始まったとされる。 長男以外の次男次女以降の者が対象とされ彼らは僅かな食事と寝床のみを与えられ家長である長男一家に一生涯使用させられていた。 彼らを使用する家は幼少期から長男以外を世間との繋がりを強制的に絶たせ、長男に言われたことのみをする無感情なロボットになるよう仕向けた。 彼らは20代になるまで正常な人格であったがおじろく、おばさとして奴隷化が進むと共に精神疾患を患っている。 明治5年には190人、昭和40年代でも3人いたという記録がある。

田舎、特に山村暮らしというと、小説や映画の『楢山節考』(深沢七郎)、あるいは『八つ墓村』(横溝正史)のモチーフとなった津山事件(津山三十人殺し)がどうしても思い出されてしまって、そもそもあまり良いイメージはないのですけれど w 憧れだけで移住を実行してしまう人って絶えないものですね〜。

実家のある四国はお遍路さんで有名ですが、彼らが歩き続けている限りはお接待などの援助を惜しまないものの、一箇所に留まろうとすれば話は別ですし、自分が長く働いていた長野県内の山村でも、昔は「(一時的に)働きに来てくれるのは大歓迎だけれど、定住は考えてくれるな」という話がありました。

田舎といっても谷一つ山一つ越えれば人柄や雰囲気が全く異なるのは当たり前ですから、いきなり家を購入するのではなく、借家で様子を窺うことから始めるべきでしょう。

田舎そのものに住まなくても、近くの都市部から田舎に通うという手段だって大いにアリだと思います。

雪のち曇り

明け方、トイレに行く時に外を見たら、一面雪景色になっていてビックリしました。

松本のアメダスの記録を確認すると、午前3時までには雨から雪に変わっていたようです。

長野県中部の午前中の降水確率は80%、正午から18時までは20%。

曇り空なりに明るさが戻ってきているようにも感じますが、晴れるのは夕方近くになってからになるのかも。



追記

やはり、夕方まで雨が降ったり止んだりの天気となりました。