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2012年9月21日金曜日

「氷菓」第6話 感想

「氷菓」の第6話「大罪を犯す」」を昨日再び観たので、その感想を。

千反田えるが折木奉太郎に謎解きを依頼した疑問点は2つ。

  1. 数学の尾道先生はA組の授業進度を、どうして勘違いしたのか?
  2. えるが尾道先生に対してその勘違いを指摘する(←えるの言葉によれば、先生を怒る)という行動に出たのはなぜか?

1. については、奉太郎によってその理由が解明されるわけですが、2. については曖昧なまま終わりになっています。

2. のことで、伊原摩耶花がえるに対して訊ねている場面があります。

  • 摩耶花:でも、そういう先生にひと言、言ってやろうって気にはならないと思うのよ。なのに、なんで?
  • える:怒っていたんですが、酷いことを言われていたから怒ったわけではないと思います。
  • 摩耶花:じゃあ、解けるはずの人も黙っていたから?
  • える:いいえ、誰だってあの場では進んで答えたくはなかったでしょう。
  • 摩耶花:ほかの誰も、先生の勘違いだって言わなかったから?
  • える:いいえ・・・。
  • 摩耶花:田村ってのが可哀想だったから?
  • える:気の毒だとは思いました。でも、だからって怒りはしないと思います。

で、「でも、どうして怒ったかと訊かれると・・・自分のことは難しいですね」というえるの言葉で、この話は終わってしまうわけです。

尾道先生の勘違いの謎解きのあと、えるが怒った理由を知りたがったわけを奉太郎が推測している場面がありますが、そこでもえるが怒った理由そのものには話が及んでいないんですよねぇ。ややこしいところではありますが w

えるはなぜ尾道先生を怒ったのか・・・自分の考えですが、前回までの「氷菓」の話、つまり伯父である関谷純が「氷菓」というタイトルに込め、幼い日のえるに伝えた「強くなれ、もし弱ければ悲鳴もあげられなくなる日がくる」というメッセージが、あの場でえるの中に甦ったからではないでしょうか。先生の怒りの矛先がある生徒に向けられ、それ以外の生徒は沈黙を守り続け、嵐が去るのをただ待っている・・・文集「氷菓」の表紙絵の再現とも言えるような状況です。

えるの行為は怒ったというよりも、悲鳴や叫びといったほうがより近いのかもしれません。理性的に怒ったのではなく、声をあげずにはいられなかったということです。だからこそ、える自身にも、怒った理由がいまひとつわからないのではないかと。

繰り返して観ることで新しいことに気付くこともあって(←それが当たっているかどうかはともかくとして w)、面白いです。原作も読んでみたくなりますね〜。