これまでの古典部シリーズの作品と比べると、軽妙な会話が目立つ感じですね〜。それぞれの親しさも増しているようで、人間関係には好感が持てます。
ストーリーは、『遠まわりする雛』の「手作りチョコレート事件」と同じように、千反田えるとは直接関係の無い出来事なのに、えるが悩み苦しむ羽目になり、負わなくてもいいはずの責任を取ろうとするという、えるの立場からすると、あるいは、える推しの人間からすると w 可哀想な感じのする内容ですねぇ。
この話はアニメ化されてはいないのですが、アニメ版の「氷菓」第21話「手作りチョコレート事件」で原作に変更が加えられていたように、もしアニメ化されるのであれば、最後にえるが救われた場面をしっかりと追加して欲しいところです。
原作者の米澤穂信さんは、どういうわけか、えるに冷たいという印象が w
ところで・・・。
「違う。ひなちゃんが言ったのは、『千反田先輩は菩薩みたいに見えますよね』」
- 『ふたりの距離の概算』米澤穂信 角川文庫 p83
伊原摩耶花が折木奉太郎に語った言葉です。あとで福部里志がこの言葉の意味を奉太郎に解説していますが、要するに「外面如菩薩内心如夜叉(げめんにょぼさつないしんにょやしゃ)」という、「華厳経」に由来する言葉があるそうです。
で、「夜叉」という鬼神は男女とも複数いるようなのですが、その中の女神のひとりに「鬼子母神」がいて、右手に釈迦から与えられたというザクロを持っています。
「ただ僕の知る限り、千反田さんの好物が石榴だったかどうかはわからないな」
- 『ふたりの距離の概算』米澤穂信 角川文庫 p129
という里志の言葉につながるわけですね〜。
もうひとつ。
「諸君、こいつはいったいなんという鵞鳥だい」
- 『ふたりの距離の概算』米澤穂信 角川文庫 p96
折木家を訪れた古典部メンバーに対して、奉太郎が言ったセリフです。これは萩原朔太郎の『月に吠える』に収められた「死」という作品から来ているそうですが、里志ではなくて奉太郎の口から出たというのが面白いというか・・・奉太郎にこういう素養があるのか、里志の影響を受けてのことなのか、どちらなのでしょうね〜。
なんだかんだと、3回くらいは読んでしまったかもしれません。上に書いたようにえるの扱いを除けば w 面白い作品です。大日向友子の「友達」について、もう少し詳しい描写があれば、とも思いましたけれども。