瓦町駅で乗った列車は滝宮駅止まりということで、後続の列車を待つことに。
写っている車両が、瓦町駅から乗ってきた電車です。
朝は事故の影響で琴電琴平駅からこの滝宮駅の間が運休となっていたわけですが、すでに復旧していました。琴電琴平駅まで行けば、ことでんの鉄道線全線乗車という当初の目標を達成できることになります。
「まがっりょる!!」・・・邪魔になっていますよ
「ちょっとこま しのべとって!!」・・・少しの間、しまっておいてください
「ぶっりょる!!」・・・漏れていますよ
「まくれるで!!」・・・転びますよ
中団以降に位置づけしてレースをしていた馬が、3コーナーあたりから
大外を回りながら先頭集団に取り付いていくこと。
単式ホーム1面2線を有するが、基本的に南側の1線のみ使用する。北側のもう1線は夜間の車両留置用に使われ(時刻表を見ると夜間には当駅に列車が2本留置されると思われる)、6時20分発の2番列車はこちらの線から発車する。
終端駅であるが、線路が緩やかにカーブしているのは長尾寺を避けて東に線路を延長させようとしたためという説がある。 事実、前身、高松電気軌道が1912年(明治45年)に長尾 - 白鳥本町間の長尾線延長を計画し、営業免許も取得していた(1916年(大正5年)失効)。
安徳天皇ゆかりの剣が由来であるとされるが、頂上直下にある大剣神社の剣岩が由来とする説もある。ただし、この大剣を深田久弥は厖大な山容の一点景にすぎないと述べている。
平盛国が祖谷を平定し、麻植郡に逃れていた安徳帝を迎えたという。天皇一行が山間を行く際に樹木が鬱蒼としていたので鉾を傾けて歩いたという事に由来する「鉾伏」、谷を渡る際に栗の枝を切って橋を作った事に由来する「栗枝渡」等、安徳天皇に由来すると伝わる地名がある。安徳帝はこの地に隠れ住み、16歳で崩御し栗枝渡八幡神社の境内で火葬されたという(『美馬郡誌』)。