中村勘三郎さんが、5日午前2時33分、急性呼吸窮迫症候群のため、東京都内の病院で亡くなりました。
57歳でした。
中村さんは7月27日に食道がんの手術を受け、一時は病棟内を歩くなど回復の兆しが見えた。しかし、その後に肺炎を発症し、呼吸不全が進行したという。
個人的なイメージとしては、といっても、あくまでイメージなので、実際の活動と年代とがズレているかもしれませんが、バブル期前後から現在に至るまでの歌舞伎のファン層の裾野を広げ続けてきた最大の功労者という感じですね〜。特に若い人達に対して、歌舞伎の魅力をこれだけ伝えることができた人は他にいないような。
バブル期と重なるといっても、いわゆるバブリーなイメージではなく、歌舞伎を庶民が気軽に楽しめるような方向へと持っていったというか・・・歌舞伎役者の広報担当、そういう意味では文字通りの看板役者だったように思います。
それにしても、早過ぎる旅立ちです。
追記
勘三郎さんは、2008年から2年に1度開催されている平成中村座の座長として松本市を訪れていたほか、去年7月には難聴からの復帰記念で特別公演を行うなど、松本市と縁があった。
2012,07,18 まつもと市民芸術館で催された「平成中村座 信州まつもと大歌舞伎」千秋楽でのカーテンコールの時が、公に姿を見せた最後だったということです。