2020年2月19日水曜日

十返舎一九と拾ヶ堰

拾ケ堰は、当時すでにあった矢原堰や勘左衛門堰の恩恵を受けられない保高組にとってこそ必要だったが、奈良井川から取水する堰筋の大半は成相組の土地を通っていて、藤森善兵衛の許可がないと実現できなかった。一方で、保高組と成相組は入会地を巡って100年にわたる水争いを続けており、普通に協力を申し出たのでは成功しそうもなかった。

矢原堰と勘左衛門堰は拾ヶ堰よりも前にあったんですね〜。拾ヶ堰の規模とネームバリューの大きさから、逆の順番に完成したのだと勝手に思い込んでいました。

それはそうと、この丸山英二さんですが、下記リンク先の記事でも登場されています。