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2021年1月4日月曜日

渡鹿野島ルポ




江戸時代に江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増え、避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊廓街としても大いに栄えて女護ヶ島の別名を持った。
海水浴や志摩スペイン村の宿泊地として家族連れや団体に利用されるほか、公然と売春が行われ売春島として名高く、男性集団が買春を目的に島を訪れることも多かった。ただし近年性産業従事者は著しく減少、高齢化している。