事件後、睦雄は西加茂村と津山市の間に位置する荒坂峠の山中に逃げ込み、貝尾を臨める尾根近くで、持っていた猟銃を自分の左腋の下にあて、自身の心臓に向けて銃弾を撃ち込み自決した。
貝尾の合同葬に入れてもらえなかった睦雄と祖母いねの遺体は(略)睦雄の生まれ育った地である岡山県北端の倉見の集落まで運ばれた。
実は睦雄の墓は、最初に今より川の近くに埋葬され、その後2度ほど移動させられたという。元の墓があったあたりは、倉見川の増水や土砂崩れがあったようだ。墓を移動する時に、墓石だけしか移動できず、遺体は埋葬された状態のままだったという。