もともと自民党というのは融通無碍な政党で、1960年にも安保闘争を乗り切るために博徒、テキ屋などを動員した『反共抜刀隊』を作ろうとしたこともある。そのくらい、時々で利用できるものは利用し、利害が一致する者とは結ぶ政党だ。やはり60年代、70年代は保守、右翼の方が“反動”だと思われていた時代だったので、ある面で純粋で非常に真面目に活動する国際勝共連合、統一教会の人たちを頼もしく思ったというのが実情だと思う。そして、それは選挙活動おいても同様だったということだ。
日本会議も、勝共連合とは教科書問題などで連携をしてきたと思う。しかし本来なら“日本がサタンの国と呼ばれているが、これはどういうことか”と批判しなければならない。そもそも『原理講論』や統一教会の教義を読んでいないということなのかもしれないが、やはり互いに批判し合ってしまうと共産党を利するから、ということで“棚上げ”してきたのではないだろうか
本来、旧統一教会と保守政治家との癒着を最も強く糾弾すべきは、土着宗教系の組織や日本の保守運動を標榜する勢力であったはずだ。だが彼らは、原理の教義を棚上げ、反共という一致点で同教会を頼もしく思い、助っ人になると踏んだのだ。日本の保守派と旧統一教会の蜜月が、今回の事件の導火線にある。
— 一水会 (@issuikai_jp) July 25, 2022