2022年11月21日月曜日

「津田沼」の由来


この地名は1889年(明治22年)に町村制施行に伴い谷津村、久々田(読み方くくだ、くぐた)村、鷺沼村、藤崎村、大久保新田の旧来からの5ヶ村が合併したことに由来し、中核となった谷津、久々田、鷺沼の3ヶ村から一文字ずつ取ったものである。
「久々田」の地名は、飲食店組合やアパートの名称、それと「久々田公園」にその名を残すのみである。また、「菊田」の名前も京成津田沼駅近くの菊田神社、菊田公民館及び今日ではそのほとんどが暗渠化してはいるが、菊田川にその名が残る。


地元の安曇野市での似たようなケースだと、「豊科」は旧地区名の頭の文字を集めて新しい村名とし、(旧地区名には無い)漢字を当てはめています。

1874年(明治7年)10月25日 - 筑摩県安曇郡上鳥羽村・下鳥羽村・吉野村・成相町村・成相新田町村・本村が合併し豊科村となる。鳥羽・吉野・新田・成相の頭文字をとって「とよしな」とした。