日本の保守派には河野談話の撤回を国際社会に向かって正当化するロジックの持ち合わせなどない(「日本軍が虐待したのは売女どもですから」が通用すると思っている阿呆だらけ)。一体この責任をどう取るつもりなのだろうか。
最後の部分を引用しましたが、コメント欄でのやりとりも含めて全てが興味深い内容となっています。
海外に向けて言っている事と国内に向けて言っている事が異なる「ダブルスタンダード」の成立を許し続けてきたというのは、真理を探究するよりも良いところだけを見ていたいという、浅はかというか、軽いというか、安直というか、国民気質にそういう側面があるということなのでしょうかねぇ。
それにしても、人文系の学問の成果が一般の人のところまでなかなか伝わってこないように感じられるのは、政府が教科書に反映しないということ以外にはどういう原因が考えられるのでしょ〜か。