- 第8話「試写会に行こう!」
- 第9話「古丘廃村殺人事件」
- 第10話「万人の死角」
- 第11話「愚者のエンドロール」
の計4話。
放送された時は、まだこのブログを初めていなかったのかもしれません。書きそびれただけかもしれませんが w
ストーリーについては特に触れることはないので、タイトルとなっている「愚者」について。
第8話の、例の映画の試写会を終えての帰り道で、「愚者」という言葉が登場します。
- 福部里志:まず、摩耶花は「正義」かなァ、「審判」と迷ったんだけれどね〜。
- 折木奉太郎:なんだそれ?
- 里志:タロットのことだよ。
- 奉太郎:ふ〜ん。
- 伊原摩耶花:じゃぁ、福ちゃんはなんなのよ?
- 里志:そうだね〜、「愚者」、いや、「魔術師」かな。「愚者」は千反田さんに譲るよ。
- 千反田える:あっ、そうですね〜。言われてみれば、「愚者」かなと思います。そこが私の良くないところかもしれませんけど。
- 摩耶花:わかんない。
- 奉太郎:俺もだ。
- える:折木さんは?
- 里志:そりゃ決まってるよ。「力」さ。
ということで、整理すると、
- 折木奉太郎=「力」
- 千反田える=「愚者」
- 福部里志=「魔術師」
- 伊原摩耶花=「正義」
ということになります。
次にタロットカードが登場するのは、第11話になってから。奉太郎が、本棚から『神秘のタロット』という本を見つけるところです。
- 奉太郎:・・・で、千反田が「愚者」。好奇心、行動への衝動・・・なるほどなァ。
Wikipediaで「愚者」の項目を調べてみると、
「愚者」は黄金の冠を被っているのである。冠は象徴的に王の持ち物であり権力の象徴とされ、黄金の冠は天上の神との交信を図るための霊的要素も兼ね備えた象徴とされる。このような象徴を「愚者」が身に着けているのは、この人物がある種の霊的な力を備え、過去には権力を持つ階級に居たであろうことを表している。
上に書いたように、「愚者」が誰なのか、ハッキリと書かれているのは、千反田えるです。あくまでも福部里志の意見ではありますが。とはいっても、豪農の一人娘で、地元では顔が広く、また、神社の祭礼にも縁があるわけで、好奇心以外の点でも「愚者」の条件は満たしていると言えそうです。
えるは11話において、奉太郎の考え方に大きな影響を及ぼすことになります。
- 奉太郎:俺が映画の真相を見抜こうとしているあいだ、千反田は本郷のことを考えていたのか・・・俺はどうだ? あの脚本をただの文章問題と観ていたんじゃないか。・・・略・・・俺は、脚本に本郷という人間の気持ちが込められているなんて考えもしなかった。
ところで、「エンドロール」というと、映画などの終わりに表示される、いわゆるクレジットタイトルのことをイメージするわけですが、「氷菓」と同じようにダジャレとして考えると、end rollとend role、つまり、「最後の役割」みたいな意味も見えてくるわけです。
また、(アニメになっていませんが)『ふたりの距離の概算』では、この「ふたりの距離」が、いくつもの組み合わせの中で使われています。
これらのことを合わせて考えてみると、「愚者」というのは複数存在するのではないかと。もちろん、その一人は、奉太郎に影響を与えるという役割を果たした千反田える。そして、もう一人は、「愚者」の定義をまさに地でいく折木供恵でしょう。
「女帝」入須冬実に奉太郎を紹介する、要するに「使われた」わけですが、その一方ですべてを見通していて、end rollで「女帝」をやりこめるだけの実力も備えている(end roleを果たした)わけですからね〜。また、それ以外の話においても、トリックスター的な役割を存分に発揮しているわけですし。いつも顔が映らないのは、黄金の冠をしているからだったりして w
原作のほうをまだ読んでいないので、ほかにも「愚者」がいるかもしれません。