2016年8月8日月曜日

「生前退位」

この一番の問題は、退位の意思の表明が公明正大な場でなされる(なされた)ことを誰が保証するのか、ということでしょうね〜。

別の言い方をすれば、各方面に大きな影響がある退位というイベントは、複雑に利害の絡んだ政治的な駆け引きを誘発しかねないわけで、最悪、ブラックボックスの中で退位がいつの間にか決定事項となっていた、なんてことだってありえるかもしれないわけです。

皇位継承が平和にスムーズに行われるということのほうが、長い歴史のなかでは珍しいことなのではないでしょうか。

話は変わりますが、「譲位」という言葉を持ち出す人がいますけれども、今問題となっている件には全く筋違いというか、ふさわしくない言葉ではないかという気がします。

「譲位」というからには「誰が」「誰に」という極めて政治的な、というか政(まつりごと)の最大懸案事項が後継者選びと譲位ですから、日本国憲法にのっとって政治と距離を置き、象徴としての立場をまっとうしようという天皇の姿勢からすれば、「譲位」というのがかけ離れた概念だということになるように思います。