内容よりも、「わかりみの声が集まる」とか「わかりみが強すぎて」という表現のほうが気になってしまって。
少し調べたところ、「わかりみ」という言葉は2年ほど前から主にTwitterで使われるようになったそう。「バブみ」という言葉と同時期かも。
「バブみ」などと違って、この「わかりみ」という言葉に感じるモニョモニョした感じは、「わかる」という主観的個人的な感覚を婉曲化し、さらに「わかりみが強すぎる」などと二重に、入れ子構造のように表現することで、自己保身に走っているように感じてしまうからでしょうか。官僚や政治家の煮え切らない答弁から受ける印象と似ているかもしれませんね〜。
自分は田舎育ちで田舎暮らしですが、外からの音はそれほど気にならないです。夏の日中など、物音ひとつしない静まりかえった時間が時々あって、不安を覚えることもあるくらい。