2019年1月20日日曜日

何もしないまま

このあいだ四十歳になった。(略)苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間。

使命感や情熱に突き動かされるように活動している人なんて、ほんのひと握りなのではないかという気がします。多くの人は平穏無事な毎日を過ごし、またそうした平凡な日が続くことを願っているはず。

あの孔子にして、40歳にして「不惑」、50歳で「知命」というレベル。一般人であれば、自己の人生について意義も価値も目的も何もわからないまま生涯を終えるのが普通というものではないでしょうか。

何もしないまま死ぬことの虚しさを憂えるよりも、どのような最期を迎えたいのか、己の死に様をイメージするほうが少しは前向きになれるかもしれませんね〜。