家族でドライブ中に立ち寄った小倉グラウンド(←三郷村小倉小学校跡地?)南側の小さな公園にありました。
本を持っている左手がやたらと巨大ですが、修復されたということでしょうかねぇ。かなりのやっつけ仕事のようにも見えますけれども w 右足も土台と一体化しているような造形になってしまっています。
小学校の校庭などに見られる「金治郎像」は、彼らの政策によって展開された社会環境を前提として、国家の政策論理に同調することで営業活動を行った石材業者や石工らによって普及したとされる。小学校に建てられた「金治郎像」で最古のものは、大正13年(1924年)、愛知県前芝村立前芝高等尋常小学校(現豊橋市立前芝小学校)に建てられたものである。その後、昭和初期に地元民や卒業生の寄付によって各地の小学校に像が多く建てられた。
石像はその後の時代も残った。また、残った台座の上に、新たに銅像やコンクリート像などがつくられることもあった。像のように薪を背負ったまま本を読んで歩いたという事実が確認できないことと、児童が像の真似をして本を読みながら道路を歩くと交通安全上問題があることから、1970年代以降、徐々に撤去され、像の数は減少傾向にあるほか、「現在の児童の教育方針に合わない」などの理由で、破損しても補修に難色を示す教育委員会もある。