2022年3月26日土曜日

佐々木高綱の墓?

正行寺は了智上人について「さまざまな説があることは承知しているが、鎌倉時代になって出家し、越後に流罪になっていた親鸞聖人を訪ねて門弟となり、その後、常陸へ行かれる途中、善光寺へ参詣する親鸞聖人と共に信濃へ入ったと、寺には伝えられている」とする。



近江国の佐々木庄を地盤とする佐々木氏の棟梁である佐々木秀義の4男。母親を通じて源頼朝、源義経、源義仲らは従兄弟にあたる。『平家物語』や『源平盛衰記』にその活躍が描かれ、宇治川の戦いにおける梶原景季との先陣争いで知られる。歌舞伎の『鎌倉三代記』にも登場し、非常に人気のある武士である。
建保2年(1214年)11月、信濃国筑摩郡(現長野県松本市)で死去。なお、『乃木大将事跡』の乃木家系図では建保4年(1216年)としている。