東塔から西塔方面に向かうメインルート沿いにありながら、観光客にはあまり人気が無さそうでしたが、最澄の想いを考えると、根本中堂と同等以上に注目すべき建物のように思います。
延暦25年(806年)、日本天台宗の開宗が正式に許可されるが、仏教者としての最澄が生涯かけて果たせなかった念願は、比叡山に大乗戒壇を設立することであった。大乗戒壇を設立するとは、すなわち、奈良の旧仏教から完全に独立して、延暦寺において独自に僧を養成することができるようにしようということである。
当時の日本では僧の地位は国家資格であり、国家公認の僧となるための儀式を行う「戒壇」は日本に3箇所(奈良・東大寺、筑紫・観世音寺、下野・薬師寺)しか存在しなかったため、天台宗が独自に僧の養成をすることはできなかったのである。
大乗戒壇の設立は、822年、最澄の死後7日目にしてようやく許可された。
こうしたいきさつがあって、年に一度、この戒壇院で僧になるための授戒式が行われているそうです。