日本の神社信仰はもともと「神道」という形でひとつにまとめられるようなものではなく、それぞれの地域によって多様なかたちをもっていた。大木や巨石など自然物をご神体とする神社も多かったし、その村固有の祖先を祀る祠、民衆が安寧やご利益を祈るための神社、また八坂神社や稲荷神社のように大きな神社でも天皇崇敬と関係のない神社もけっこうあった。
ところが、明治政府が近代国家の支配イデオロギーとして「国家神道」を打ち出すと、こうした多様な信仰がすべて皇室神道、天皇崇敬と結びつけられ、伊勢神宮を頂点にして序列化されていく。
そして登場したのが「神社合祀」という命令だった。神社合祀は、序列の低い小さな神社を廃止して、大きな神社にまとめていくという政策だが、これによって、それまでその地域の人たちが大切にしていた小さな祠や社が取り壊され、鎮守の森が切り開かれ、ご神体とあおがれていた『となりのトトロ』に出てくるような大木が次々と切り倒されていったのである。
引用箇所は3ページ目です。
この記事のメインテーマではありませんけれども、神社などを含めて昔からの民衆の素朴な信仰心が、明治期に政府によってどのように扱われたかというのは知っておく必要があるのではないでしょうかね〜。
ところで、
神社本庁はしばしば政治的活動や声明を行うことがある。特に神道政治連盟および日本会議を通して主に自民党議員への影響力を持ち、政教分離の面からの批判がある。
この点に関しての公明党批判は、ブーメランとなって戻ってくるような気もしますけれども。