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2023年2月17日金曜日

才能を認めてくれた美術の先生

絵の世界には進めませんでしたが、『自分は絵が得意だった』と言えるのは、かつて高校の先生が認めてくれたからです。

美術の先生と少し危なっかしげな高校生って、何かしら通じ合えるものがあるのかもと、RCサクセションの「ぼくの好きな先生」を思い浮かべながら記事を読んでいました。



都立日野高等学校にて忌野清志郎の担任で、美術の教師で美術部顧問であった小林晴雄先生(2018年逝去)をモデルにした。ギターに熱中しすぎる息子を心配して朝日新聞の身の上相談に投書するほどだった忌野の母親を説得した人物として知られ、ファースト・アルバムが完成したときに忌野自ら渡しに行ったほどの恩師。